継承アリス 第76話
今回から最終章に入ります。もう少しでこのお話も終わりです。
『種の誕生』
二学期が始まって一週間も経たないうちに、アリスの右目が腫れ上がった。空種を宿したときと違い、瞼が真っ赤になり、熱も出た。間違いなく、本物の継承の種だろうと佳歩さんは言った。きっとそうなのだろうと、僕にも蓮兄さんにも分かった。
付き人の僕は学校も休んでアリスに付き添った。付き人はアリスを孤独にしないためだけに存在するのだと、佳歩さんが教えてくれた。裕次郎さんからあの種を継承したときから、僕の命も人生も、僕のものではなくなった。それはアリスも同じこと。全てを捨ててアリスという存在になり、残された時間を付き人と過ごす。基本的に、付き人以外の人には心を開かず、付き人だけを信頼する。だから付き人も、全てを捨ててアリスに付き添う。今までのアリスも付き人も、僕達の想像以上に、他人の介入を許さない一心同体の時間を過ごしてきた。継承の絆がなければ、普通の生活の中でこんな絆を結ぶことは、きっとできない。継承の絆があったから、こんなことが許された。それが、いいことなのか悪いことなのかは別として、僕達は継承の庇護のもと、こうして手を取り合って過ごしてきた。
瞼を痛がって苦しむアリスのそばに、僕はずっと座っていた。何もしてあげられないことがつらかった。つらいだろうけれどもそのつらさに耐えることも付き人の仕事のうちなのだと佳歩さんは言った。そばにいて心配してあげるだけでいいのだと言ってくれた。
夜には蓮兄さんが来て、僕に仮眠の時間をくれた。許されたほんの少しの自由時間に、僕は付き人の部屋に籠った。
ベッドに倒れても気持ちが落ち着かない。継承の種が生まれたら、とうとう蓮兄さんへ継承することになる。もしかしたら別の継承相手が相手がいるかもしれないと思ってアンテナを張っていたけれど、直感が変わることはなかった。
裕次郎さんが僕にそうしたように、次は僕が蓮兄さんに継承する。二人の笑顔が重なって思い浮かぶ。「ありがとう、拓真君」という二人の声が聞こえる。ありがとうなんて言われるようなこと、僕はした覚えもないのに。
種を引き渡すことになれば、この付き人の部屋も蓮兄さんへ引き渡しということになる。ぽつぽつと付けてきた付き人日誌も、きっと蓮兄さんの目に触れる。元々そのつもりで書いてきたのだからいくら読んでもらっても構わないのだけれど、継承間近ともなると、書き記すことにも慎重になる。感情的でもいけないだろうし、気持ちに嘘を付くのも後ろめたい。
日誌を広げ、椅子に座って、ペンを取る。思い付くまま書いていく。
アリスの目に、継承の種が宿った。とうとう継承の日が迫ってきた。
継承することが、ただただ恐い。
蓮兄さんに、生きていてもらいたかった。一緒に生きていきたかった。
僕達の兄として、妃本立に帰ってきてくれて、ありがとう。
そう書いて、日誌を閉じた。
右目が膨れ上がってから一週間ほど経ったある日の夜、アリスの激しい唸り声と共に、継承の種は彼女の右目からぽとりと落ちた。ひまわりの種に似た、縦縞の入った種。
継承の種を生んだアリスは僕に縋って泣いた。
自分の生んだ種のせいで蓮兄さんがいなくなることが耐えられないのだった。
こういうつらい役目を与えられているから、アリスというのは無感情な存在なのに、僕のアリスはそうじゃなかった。自分のしたことと周囲への影響をきちんと理解して、傷ついている。
種の誕生はアリスと付き人以外、見ることが許されない。
西棟のアリスの部屋で、僕は一晩中アリスを抱きしめた。
アリスの涙は枯れることを知らなかった。