すえてなたー

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まじない師譚 5

5 人生観

 一月初旬に降った雪はもうとっくに溶け、あれ以来、オルディーデの町に雪は降らなかった。シルビア姉さんの住むカイングネイトの町では気紛れに降るらしく、姉さんの伝達係をしている白梟がそういう手紙を時折運んできた。結界を通じて姉さんの気配を伺う限り、向こうも変わりなく安泰らしかった。
 リリーはストーブの前に置いたお気に入りの籠に入って眠っている。
 特に仕事もないので小屋の掃除をする。この小屋に手伝いに来てくれるアンセルは、今、学校に行っている時間だ。彼と同じ年のエステルちゃんも、アンセルとは違う学校らしいけれど、今頃勉強を頑張っているはずだ。
 客間を兼ねているこの居間の壁には、ミサンガを編むときに使う刺繍糸が夥しく掛かっている。この中から好きなものをお客さんに選んでもらい、ミサンガを編む。糸の在庫を調べ、テーブルを整え、床掃除もする。ストーブ前の籠を持ち上げると、眠っていたリリーが鬱陶しそうにこちらを睨む。
「ごめんね。掃除するから」
 にゃお、と鳴いて、リリーはまた眠る。
 接客用の茶葉はまだある。カップも綺麗になっている。そんなことを確認していると、りんとドアベルが鳴った。
「こんにちは。突然すみません。こちらでお守りをいただけると聞いて伺ったのですが」
 そう言ってドアから顔を覗かせたのは、三十代後半くらいの細身の男性だった。リリーもむっくり首を伸ばして客人を一瞥し、にゃあ、と鳴いて、一応、歓迎の意を示した。一応、というのは、一見、いいお客さんに見えても、後々、面倒な人だったということが度々あったので、新しいお客さんには身構えるようになってしまったのだった。
 お客さんにはテーブルについてもらい、話を聞く。
 彼は櫛を通さないボサボサの頭で無精髭を生やしていた。羽織っているコートもよれよれにくたびれている。商売柄、色んな人に会ってきたが、ここまで身なりを気にしない人も珍しかった。彼は猫背で座り、長い首をこちらに伸ばしながら言った。
「実は今度、私の妹に子供が生まれることになりまして。その子の健やかな成長を願って、何か贈り物をしてやりたいのです。それで、こちらのミサンガのことを知りまして。ちょうど妹もあなたの編んだミサンガが欲しかったようなので、その妹の分と子供の分と、二ついただきたいんです」
 彼は紅茶で喉を潤しながら身の上話を聞かせてくれた。三十八歳の文筆家で独身だが、親や親戚から早く結婚をしろと口酸っぱく言われ、閉口しているとのことだった。
「結婚には興味がないのでのらりくらりと躱しながらこの歳まで来ましたが、妹に子供が生まれたらさすがに諦めてくれるのかもしれません。まぁ、逆に『お前の子供はまだか』なんてとんでもないことを言われることもあるのかもしれませんが――私の人生に責任を持ってくれない人ほど、好き勝手な説教をするのですよね。困ったものです。私は文筆家として生きていきたいだけなんですけどね」
 彼は薄い頬に柔らかな微笑みを浮かべて遠くを見つめた。
 ミサンガを編むときに使う糸を選んでもらい、編み上がったものは数日後に受け取りに来てもらうことになった。
 客人との話を聞いていたリリーがぽつりと言った。
『人間って大変ね。自分の好きなように生きていこうとすると文句を言われるなんて』
 結婚なんて興味がないという彼の気持ちはよく分かった。僕だって、人を愛する自信はない。無理に結婚をしたとしても、きっと上手くいかないだろう。
 町のマダムたちは「誰かいい人いないの?」と時折訊ねてくる。誰もいませんと返事をすると、「誰かいい人探しなさいよ」と大抵返される。
『私の人生に責任を持ってくれない人ほど、好き勝手な説教をする』
 文筆家の彼の言葉が身に染みた。
 リリーが僕の膝に飛び乗って言う。
『ハイト、あなたは好きに生きていいのよ』
 そう言ってもらえるのが、結局、一番ほっとする。
 依頼された二つのミサンガを編み終わったころ、文筆家の彼が約束通り受け取りに来てくれた。真新しいミサンガを眺めると、「ありがとうございます。妹も喜ぶと思います」と礼を言ってくれた。その彼の手に、依頼された二つの品とは別に、もう一本、ミサンガを渡した。
「これは、あなたの人生を応援する意味で編みました。差し出がましいようで申し訳ないんですが、僕も、結婚には興味がなくて、何となく、人生観があなたと似てるなと思ったので、勝手に親近感が湧きました。嫌でなければ、受け取っててください」
 相変わらず身なりに無頓着な文筆家は思わぬサービスに驚いたようだったが、はにかんで「ありがとう」と言った。
「ハイトさんの存在を知ってから、まじないとは何だろうと考えていましたが、何となく分かった気がします。こうやって気に掛けていただけると確かに嬉しい。そういうことなんでしょうね。ありがとう。大事にします」
 文筆家はさっそく腕にミサンガをつけ、柔らかな笑顔を浮かべた。
「あなたのおかげで、自分の人生を大事にできそうです」
 彼はそう言って小屋を後にした。
『あの人、悪いお客さんじゃなかったみたいね』
 リリーもほっとした様子で客人を見送った。